ことばが通じない、空気が読めないって、結局は。

 

わかっていると思っていることが、一番怖いんだろうと思うのです。
なにごとも。

 

あの人の言っていることはこうだっただろう、
あそこに書かれていることはこうだったのだろう、
あの人はああ思っているのだろう……、

 

往々にしてそれは「違う」、
あるいは「足りない」なのだろうと思います。

 

「慢心したとたんにダメになるからね(笑)」
とは恩師で詩人の高柳誠先生のことばですが、

これにはほんとうに愛が込められています。

 

先生は必ず良い点のあとに、足りない点を付け加えるといいますか……決して絶望はさせないんだなという印象を受けます。

 

先生に褒められるとやっぱり嬉しいですから、かならずみんな顔が一瞬華やかになり、「ありがとうございます!」と口走る時間に入りかけるのですが、
そのときすかさず先生は「よく言えばだよ、よく言えば」など、相手がちゃんと気づくまで言ってくれます(笑)。

 

でもそれはたとえばプロを目指した集団である、となれば話は別で、たぶんもっときつく言われるんだろうと思います。
「君はこれで文芸の道を目指すつもり?(笑)今のうちにやめたら?」
とか言われるのでしょう(笑)。

 

わかったふり、できたふり、思い込み
これが人をだめにしていくのだろうと思います。

 

わたしは今まさにこの瞬間「〜だろう」と思って書いているわけですが、
しかしふいに、
いやこれにもまだ盲点があるのではないか、と思ったりもしています。

 

あんまり考えすぎると、
「今わたしが見ているこの世界ははたして現実なのか……!!!」みたいな、狂気的な混乱へまっしぐら、みたいなことになりますが、
適度に疑うことは大事なのかと思います。

 

先日、国語辞書編纂者の、「話が通じない人」についての記事を見ましたが、ああやって言語化されると大変すっきりしました。
参考:
https://togetter.com/li/1067350

 

この記事からも感じることですが、
コミュニケーションができないというか、
会話が成り立たない(時間差でくることもある)場合は、だいたいが、一方的な思い込みの場合があるのではないか、と思うのです。
空気が読めないということも、ある意味思い込みかと思います。
外が見えないということなので。

 

やっかいなのはそれを正当化しようとする「何か」が、この社会には色々とあるので、ふーむ、と腕を組んでしまうわけですが……

 

それははたして適切な対処法なのか?
成長の機会を奪うことになるのではないか?

 

そういうことが勝手に気がかりです。
(精神科に行かせるなんて、もってのほかです)

 

学んだり、技能を習得することで変わるかもしれないのに、
それを個性だとか、「そのままでいい」とかいきなり言うのは、果たして妥当なことなのか?
無責任なことではないのか?
と思います。

 

だって話が通じなければ、孤立するかもしれないのですから。

 

孤立が楽しければいいのですが、
孤立を楽しめる人など、なかなかいないのではないかと思います。

 

孤立と孤独とは違いますし、
あえて孤立しているのではなく、孤立してしまった、となるとまったく別ですから……。

 

空気を読むにもいろいろありますが、
必要なときは本当に必要です。

 

「最初の乾杯はビールと決まっている」とか、そういうのはどうでもいいでしょうけどね。(笑)

 

 

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