10年、なんど挫折しても、諦めきれなくて、本当によかったと思える瞬間

 

力を抜いて、気を込めて、打つ。

 
そんな感じで書いた掌編作品について、恩師からの第一声が「まず文章力がある」であったというのは、わたしにとってはそれだけで脱力するほどの喜びだ。うるうるしてしまうし、ほっぺが熱いのがわかる。

 
文章力がある、は最低条件。

もちろん小説家、作家、文芸で食う人が、それだけではできるわけがないというのは百も承知だが、
 

その最低条件さえクリアできていなかった10年前から、

何度も何度も挫折を経験しながら、

それでも「やめられずにやってきた」、

わたしにとっては、その結果が出た、ということなのだ。
 

文章作品など書いたことなかった16歳のわたしが、

素人ながら、手本もなく自分なりに1、2年書いて、

それで大学で恩師と出逢い、プロの世界というのを垣間見た。
 

恩師には、そういうレベルの、いわば「カス以下のカス」の文章を見てもらっていたのだ。

まさに、箸にも棒にもかからない、というやつだ。
 

そして大学に入り、ゼロからスタートでやっとはじめた。

何もかもゼロだったから、日々コツコツ、ちゃんと学びながら書く、なんてこともできなかった。

つまり書きたい意欲だけご立派で、あとのことはすべてお粗末だったというわけだ。

正直、これほど惨めなものはない。見苦しいことこの上ない。

 

決して文章表現にだけ明け暮れた4年間というわけがなかった。

そもそも専攻が違う課目だったし、書いた量だっていま思えばどうしようもねえな、と一喝してやりたいくらいのものだ。

だからというわけではないが、4年間終えて出たからといって、劇的に飛躍したかといえばそうではない。

 

繰り返すが、スタート地点が「カス」だったので、たかが知れていた。

むしろやっと一般人の背中がすこし見えてきたぞ、くらいのところからのスタート地点が見えてきたぞ、くらいだった。

 

あれから10年、もっとうまくすべてのことを学び、すべてのことを行動できていたら、この時間は3分の1くらいになっていたのではないか、とも思う。

しかしそれは、ありえなかった。

わたしのレベルがあまりに低すぎたので、

消化できるレベルのことしか取り入れることができなかった。

だってすべて自力で、すべて一人きりだったから。メンターなんてものはいなかった。

カスがカスだけの力で歩んできたというわけだ。
 

文章表現において、あらゆる学習方法の「手がかり」を知る、それだけで10年かかったようなものだ。

自分のなかで、やっとすこしは読める文章が書けるようになったなと思うのは、ここ2年前くらいからだ。

それでも2年前の文章を見ると「アホか」と言いたくなるし、しょっぱい顔もしてしまう。

と同時に、嬉しくもある。

しょっぱいと思える自分になることができて、よかったと。

 

10年の間に、恩師には何度かお会いしている。

だけど恩師の作品の舞台や、講演会などですこしお話しする程度だ。

自分の書いた文章を10年の間に見ていただくなんてことはなかった。

 

そこにきて、1月、2月と、拙作を見ていただいていた。

そして2度とも、文章にお褒めのおことばを頂戴した。

 

この重みは、これぞ「筆舌に尽くし難い」というやつだ。

 

当然ご指摘もいただいた。

10年前なら、がーん となっていたであろうカス以下の自分が、

まるで強敵を前にした孫悟空のごとく、ワクワクすっぞ! みたいになっていることが、どれだけ幸福か!

 

間違えてはいけない。

わたしは恩師に褒められることが最終目標ではない。

だけど恩師にすこしでも、よくやったね、と言われたいがために、頑張って書いてきたところは、間違いなく、ある。

 

だって、卒業後に、結果を出さないと先生に会えないと思うから会いにいきづらいんです、と、何度かメールで書いたこともあったし、

いちどだけ研究室を訪ねたときに、そう言ったこともある。

わたしは一生このまま、先生に会いに行けないのではないかと不安になることも、しょっちゅうある。

 

だけどいま、まずひとつ、

やっと、この最低限のところまで来たね、と言われたような心持ちなのだ。

やっと先生に、ぜひ一緒に呑みに行きたいです! って本気で言えるようになったという感じだ。

(それでもビビる)

 

そして先生の教育どおり、そこで慢心の気持ちが一切生まれないことが、最高に嬉しい。

こっからがさらに死ぬほど苦しい闘いになるだろうと、わかっていることが嬉しい。

 

だってわたしはまだまだカスだから。

新人賞で、最終選考突破したこと、ありませんから。

そしてバンバン投稿するほど、書けていませんから。

カスですよ。これは。

 

そして1度目も、2度目も、しっかり推敲できて、研ぎ澄まされた作品を提出したかといえば、そうではない。

アホか。

でも限られた時間のなかでできる、わたしの限界だった。これもひとつの実力です。

 

 *

 

最近、やっと、やっと北方謙三先生の『水滸伝』を読みはじめたのだけど、

たまに、どうしようもないチンピラみたいな漢が、

もしくはすでに力はあるが何か心に迷いがあったり成熟しきっていない武将が、

とんでもない目にあって、死ぬ寸前の稽古や経験をして、水を打ったように研ぎ澄まされた武将になっていく様が描かれる。

肉体的だけではなく、精神的にもだいぶ辛い。

北方先生はものすごくそぎ落とした重い一行で描くから、ページ数はさほど割かない。

さらっと書かれているようにも見える。

だけどそれがいかほどであったか、というのは、拙い脳味噌でも多少はわかる。

 

何かを成す人間になるには、そういう経験が必要不可欠なのだろう。

イマドキは、何もできないけど、何も持ってないけど、独立起業したり、年商7桁越えを目指したりする人が多い。

うまくやってたまたまできた人もいるだろうが、

世の成功者を見れば、そんな人はひとりもいない。

1勝99敗、みたいな感じだ。

うまくやってできた人を見たって、うまくやるために、コツコツ何かをやっている。

間違いなく。「果報は寝て待て」の意味が違う。

 

講座などで、結局は行動力に尽きる、とわたしは言うが、

そんなの当たり前だ。

天才でもない限り、3回くらい投げて大ヒット、なんてありえない。

「数打ちゃあたる」の意味も違う。

 

血反吐を吐いてでもやる、つーか、最低限、頭痛、吐き気、気絶くらいするまでやって、

はじめてちいさな何かを越えてゆける。

その繰り返しだ。

 

だからピリピリもせずやってるヤツを見ると、反吐が出そうになるんだよ。

それで目立とうなんてやってるヤツを見ると、反吐が出そうになるんだよ。

カウンセラーとしての立場では、そういう気持ちはまず持ち込まないけど、これが本来の自分の本音だ。

必死じゃない人がどうやって結果出すの?? 意味がわからない。

そういう人はたぶん、マジで、結果を出した人を見たことがないし、知らないのだろうと思う。

 

15歳で芸術関係の夢を語り、実現している同級生たちがいた。

羨ましくて仕方がなかったが、四六時中、弾いて、描いて、勉強して、という人しかいなかった。

 

羨ましいのは、信じて、それを素直に行動できることが、羨ましかったのだ。

結果が羨ましいのではない、

やれることが、心底羨ましかった。

約束されていない未来なのに、そこに行こうとすること、つまり自分を信じられることがね。

 

じゃあその、「もともとない行動力」はどこで身につけるのか。

自分がどんだけカスで、

このままじゃカスのまま死ぬ!

カスのまま死ぬのは辛い!

と、本気で思って現実を見ることからがスタートなのではないか。

 

わたしはみんなよりはるかに遅くスタートを切ったけれど、

鬱々としながら、だけど捨てきれなかったから、

最低限のところまでは、10年かけて来られた。

10年も! と途方に暮れるけれど、

絶望的な状況からでも10年かけられるほど好きであった、というのは、10年後に気づくかもしれない。(今のわたしみたいに)

 

20代にとっては、10年は長いだろうが、

30代にとっては、10年が短いことはもうわかっていることだろうと思う。

 

だから10年かかってやることって、案外あっというまだ。

 

もし人生80歳、100歳くらいで死ぬのなら、あと50〜70年ある。

案外短いけど、イヤな気持ちで70年過ごすかと思うと、長すぎて今すぐ死にたくなる。

わたしは余生は、そんな気持ちで生きながらえたくはない。

本気で死にたい人生はもう御免です。

 

こういうわけだから、わたしは『水滸伝』とか読んでいると、まだ2巻の途中だというのに、何度も何度も涙ぐむし、泣く。

そして同じようなことを、作中でも漢たちがやっている。

人の志に触れ、国を変えたいという強い思いに触発されて涙し、謀叛の軍に加わる決意をする。

心の弱さと戦い、肉体とも戦う。

ヤバい。これはヤバい。

 

わかりますか。

あなたはわたしを、我慢強いとお思いですか。

ありえません。苦手なことは我慢です。得意なことは末っ子流我が儘です。

忍耐力なぞゼロどころかマイナスです。

ちょっと足をぶつけただけで、むこう数日間は騒ぎます。

勉強もできない、勉強もしない、頭も悪い、今だって日本語間違えまくる、誤字脱字は酷い、まだ8割はカスのまんまのわたしですよ。

それがこんな大見得切ってるんですよ。

だから、もしかするとあなたがたは半年でわたしの力を越えられるかもしれない。

 

そこで、越えようとして行動する人と、

行動を継続する人と、

越えようと思ったが行動しないし継続しない人と、

どうせ無理と思ってはなからやらない人と、

 

10年後が変わってくるのですよ。

 

 

ま、こんなブログを書いてるなら、作品書け。

これさえも、それですよ。(笑)

 

わたしはカスです。

でも、やるしかないのです。

だって死ぬときに死ぬ前に後悔で悶絶死しそうだから。

恩師に死ぬまでに本心から、「まあまあだね」、いや、「良かったよ」と言ってもらいたいのです。

そこが最終目標ではないけれど、せめてそこが最低ラインです。

 

ああめっちゃ自分のハードル上げた。

がんばって、今日も書きますよ。

 

 

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ちなみに先生は、詩集を一年推敲するって、それも短い方だって聞いて、ひえーーーってなりました。

 

 

 

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