【お知らせ】カウンセリングメニューを終了、そして「書くこと」について

富山県、藤子不二雄A先生の故郷の氷見にて。

脳内忍者設定(しかも抜け忍)の中二病としては、これはお仕事です。いい顔でしょ。

 

続・ROCKの日! 満月!
と思ったら日付がかわってしまいました。

 

お仕事について、もうひとつお知らせがあります。

 

今後ですが、ご新規のカウンセリングの受け付けを
終了させていただくことにいたしました。

 

もちろんこれまでお会いしたクライアントさんは、
今後もお付き合いさせていただきたいと思っています!
経過報告も気兼ねなくしてほしいですし、
必要なときは力になりたいと思います。
よかったら今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!

 

また需要がある限り、
手帳術講座は継続していこうと思っています。
そこでカウンセリングやアドバイスを求める人がいれば
求められる限り、対応させていただきます。

 

 

ここに至るまでの経緯をどうやって
書こうかなと思ったのですが……
ありがたいことに、
ライティング業務で手一杯になってきたことが大きな理由です。
(Webの仕事もありますが)

 

こうして幸いにも文筆でお仕事をいただけるようになって、
形はさまざまですが
自分はやはりこの道でやっていくべきだろうと決断しました。

 

エンジニアを退職して2016年の春にフリーランスになり、
この1年、自分にできることは何なのかと
我武者羅に、体当たりでいろんなことに挑戦してきました。

 

たった1年の間にたくさんの人と出逢い、
新しい世界を見て、悩んで、勉強し、経験し、
そういった流れのなかでずっと考えてきた結果、
自分は改めて、文筆をメインにするべきだなと思い至りました。

 

もちろんカウンセラーを
なんとなくやっていたわけではありません。
これはカウンセリングの仕事に
ものすごく真剣に向き合ってきたからこそ
出た結論でした。

 

人にはそれぞれやるべきことがあって
それが自分にとって何かとじっくりと考えたとき、
わたしは人のこころ、人生、
そういうものと対峙するにあたって、
カウンセリングではなく
創作活動でやっていくべき立場の人間なのだと思いました。

 

カウンセラーのように
その人に寄り添い、傾聴し、引き出す人がいる一方で、
表現によって触発し、その人のなかから引き出す人がいます。
それが小説家であり、詩人であり、音楽家であり、絵描きであり
造形師であったり、そういう人種なのだと思っています。

 

たとえば、
目的がお互いに、人間の追求、理解、究明だとするならば、
カウンセラータイプと、表現者タイプがいるだけなのだと思います。

 

わたしは今後、命がけで頑張れば
前者を極められるかもしれません。
しかし残された人生の時間を捧げると考えたとき、
今持つ自分の力をより生かすことができて
適切なやり方があるのなら、
それを追求するべきなのだろうと思いました。

 

ほんとうに、
ここに至るまでの経緯をぜんぶ書きたいくらいですが
くどくどと言い訳みたいになりそうなのが
すごくすごくイヤなので、ここまでに留めます。

 

この決断をするまでに
たくさんの人との出逢いや会話がありました。
本当に出逢って関わってくださったみなさまには
感謝しかございません。

 

またひとつのスタート地点に立ったばかり。
これから地道で泥臭い、
精神的にも肉体的にも
無理を強いるような努力がまた始まるのでしょうが
「やるしかねえ」のです。

 

しかし
一歩ずつの進歩が、今までの比じゃないような
そんな歩みになってゆく予感があります。

 

そのかわり現れる壁のホンモノ具合は
やばい予感が満載です。
「こっちじゃないだろ」という壁ではなく
お前がでっかくなりたいのなら、
本気で挑んでこい、じゃないと跳ね返すし
その反動で殺す! みたいな壁の予感です。(笑)

 

大小いくつもの壁を越えていって
やっとたどり着くその時々の領域を、
よりはやく味わえるように、
これまで以上にスピード感を高めて
「やるしかねえ」、です。

 

もう「気づき」とか言っていちいち止まってる暇はない。
いちど過去を振り返って自分を整理し
理解して慰めてやるプロセスをやったなら、
次はもうただひたすら、
今は過去とは関係ないのだと割り切って
行動していくほかありません。
そのときは、スピード感が必要になってくる。
だらだらやってちゃ、本当に歳取る一方です。

 

人生は自分でこうだと決めるものだけど
まったく予測不可能でもあり、
最善を尽くしながら、抗いすぎず、
その都度、道を選んでゆくほかありません。
今の決断より最善な道があれば
そこに行くしかありません。

 

わたしはこうなるべくしてこうなったなと
いま、本当にそう感じています。
行けと言われるなら、行くしかない。

 

また「書くこと」の必然性についてなどは
別の記事にしたいと思います。
ライティングと小説って違うけどそこんとこ
どうなってる? とかもまた別の機会に。

 

でもちょっとだけ「書く」ということに対する姿勢の結論だけ書くと、ちょっと前にFBで書いたんですが、

 

「ひとりの力で気づけることには限界があります。
もし小説家が仕事人であるならば、
誰かが表現できない、もやもや、汚泥、怒り、幸福など、
そういった何かを言語化するのが、小説家のつとめであると思っています。」

 

ということです。

 

まずは、お知らせということで!

 

ありがとうございました、
そしてまた、これからもよろしくお願いします!

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