イラっとされる人、妬まれる人。人の気持ちを踏み荒らしてない?

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よく、「嫉妬されるんだよね」とか、「妬まれるんだよね」とか、「そんなつもりないのに張り合ってくるんだよね」とか、そんなことを言う人がいます。

先に言うと、ビジュアル分析学的には、

「相手の中の問題が刺激されるのであって、あなたが悪いのではないですよ」

ということになります。

 

つまり、イラっとくるのも、妬むのも、その人自身の問題。

妬まれる対象には基本的に関係ないのです。

 

しかし勘違いしちゃいけないのは、だからといって、当然、なんでも言っていいとか、どんな態度をとってもいいとか、そういうことではありません。

 

今回はあえて、さらに視点を変えたところから見てみたいと思います。

イラッとされる人や妬まれる人は、

イラっとされたり、妬まれるようなこと、してるんじゃないの?

という元に戻った感じの視点。

 

汚れた街に汚れのない白いスニーカーでズカズカと入ってこられたら

わたしの最愛の作家、花村萬月先生の名作『ブルース』に、印象的なシーンがあります。

 

ヒロインの綾が、横浜の寿町、つまりドヤ街と呼ばれる日雇い労働者が暮らす街に、好きな男・主人公村上を尋ねてくるのです。

綾は容姿端麗だし、お金にもさして困っていません。

綺麗とはいえない街をちょっとビクビクしながら歩いていきます。

おじさんたちにちょっと脅されて笑われたり、舐め回す視線を感じたりする。

 

そのあとに綾は思うのです。

わたしは白い汚れのないスニーカーで、踏みにじったんだーーと。

 

ちょっとうろ覚えで、詳細は違うと思うんですが、わたしはこのシーンが忘れられない。

 

これと似たようなことって、日常の人間関係でも行われていると思います。

よく言う土足で踏み込むのではなく、「白い汚れのないスニーカー」、そこがポイントです。

 

 

知らぬ間に見下していることの怖さ

自分が持っていることに気づかない人は、持っていることを当然としていますから、そのモノサシで相手を見ます。

なんでそれができないの?

なんでそんなふうに考えるの?

そうして酷い場合は、相手を責めたり、この人はダメだと言ったりする。

 

精神的に健康で余裕があれば、自分はそれでさして不安定になることもないでしょうけど、相手にとってはどれだけのダメージになるか。

それもまた相手にとって不愉快です。

 

できなくなってしまったのには理由がある。

そんなふうに考えるのには理由がある。

そういう視点がないから、頭ごなしに否定しちゃう。

 

知らぬ間に相手を見下しているということに、気づかないんですね。

見下すどころか、相手にとっては、優越感を見せびらかされているのと、同じです。

 

 

だからイラっとされる

自分が欲しくても持っていないものを持っている相手や、自分がやりたくてもできないことをしている相手から、「なんで?」とか言われると、すごく傷つくし、腹が立つものです。

これこそ「お前に何がわかる?」です。

 

当然、相手が努力していないなど、相手自身のせいということもあるでしょうけれど、育ちの過程でそういう経済状態になっている、そういうマインドになっている人がとても多い。

いや、大半といってもいいと思います。

 

もちろん本人たちは、人のせいにせず、自分で変えられるという真実に気づき、自力で踏み出さなければならないということを知らなければならないのですが、

何度も書くように、物事には順序があり、

まずはその人たちは傷を癒やさなければ、無理なのです。

よほど追い詰められない限りは、立ち上がることができないのです。

(当然、追いつめられすぎてどうしようもない人は、立ち上がれません)

 

ですから、「嫉妬されるんだよね」とか、「妬まれるんだよね」とか、「そんなつもりないのに張り合ってくるんだよね」などと悩んでいる人は、ご自身のこれまでのそういったシーンや、相手の家庭環境、状況などを、思い返してみてください。

 

知らぬ間に相手の劣等感を刺激している可能性が、あります。

 

 

イヤなら一緒にいなければいいのだけど、一緒にいるのはなぜか?

妬まれたり張り合われることに文句を言うわりには、そういう人とつるんでいる。

結構多いなあと感じます。

イヤなら一緒にいなければいいのです。同じところにいるから、嫌な思いもする。

 

それでもまだ一緒にいるのは、

嫉妬されていたいから

以外の何ものでもないと思います。

ちょっと辛辣ですけど、事実ではないでしょうか。

 

妬まれるってことは、上ですから。優越感に浸れます。

 

本当に何か被害に遭うようになると別でしょうが、ちょっと陰口を言われたり、スネられたりする程度なら、案外心地よかったりするものじゃないでしょうか?

試しに嫉妬ちゃんたちから離れてみてください。

結構、淋しいと思います(笑)。

 

そんなことない! と思う方でも、とにかく何かしら、そこに留まるメリットがあるはずです。

 

 

無意識の見下しはあらゆるところにある

この無意識の見下しは、形は違えど、いろんなところで出てきます。

個人的には、結構社会の闇を深めているといっても過言ではないとも思います。

・介護

・ボランティア

・障がい者と健常者の関係

・社員とバイト、パート

・成績優秀者と劣等生

・体力のある者とないもの

……など、他にもたっくさん。

 

以前ネットの記事で読んだ、児童養護施設にやってくる大卒の新入社員なんかの話は、モロだなと思いました。

目をキラキラさせて、可哀想な子たちを救うんだ! という態度、というやつ。

子どもたちにとっては、そんな奴ら、絶対に信用できません。

だって、「お前らは大学まで行かせてくれる親がいて、就職してここに来たんだろ?」ですよ。

そんな人たちに、哀れみの目なんか向けられたら、たまったもんじゃない。

でも新卒社員たちはそんな驕りと無意識の蔑みに気づけない。

参照:貧困を脱した35歳女性が絶対に伝えたいこと 「IT業界では、学歴は関係ない!」

 

優しさのつもりでも、同情や哀れみというものは、なかなか難しいものです。

無意識の蔑みでないか、エゴでないか、自分が気持がいいだけではないのか、常に問いかけなければならないのだろうと思います。

 

傷ついている人は、疑り深かったり、歪んだ方向から物事を見たりもします。

それは、彼らのトラウマというフィルターが目の前の事象を曇らせているのは事実ですが(つまり問題は彼らの中にあるということ)、しかしそればかりではありません。

疑うばかりではなく、実際に傷つけてくるようなひとを、敏感に察知するのです

デリカシーのなさとか、察知しますね。

 

――というわけで、イラっとされやすい方、妬まれやすい方、こういったことで人間関係をこじらせていないか、振り返ってみてくださいね!

 

 

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